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1. ◆意見発表・交換会のお知らせ  投稿者:主権回復を目指す会事務局 投稿日:2011/09/17(Sat) 12:49 ID:swJJe/iE No.468

◆意見発表・交換会のお知らせ


日 時:平成23年9月24日(土) 17:30会場 18:00開始

場 所:文京区民センター (3ーD会議室 )03(3814)6731

http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_shisetsukanri_shisetsu_civic.html
アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、JR(水道橋) 東京都文京区本郷 4-15-14


発表者:児玉友春(30歳)

議 題:「国家の独立とは何か、国家の滅亡とは何か」 ※議題に基づいて意見交換を行います

※参考文献 『文明論之概略』(岩波文庫)


【議題概略】

 国家の独立とは何か、国家の滅亡とは何か、そのことについて具体的に論じたのは、福沢諭吉であった。いま、彼の思想を読むことは、滅亡の危機にある日本人にとってこの上なく有益である。日本が弱小国に過ぎなかった明治八年、『文明論之概略』(岩波文庫)で福沢はズバリと日本人がなすべきことを述べている。

 明治八年というと、西暦でいえば一八七五年である。この近くには、一八四〇〜四二年に行われたアヘン戦争、一八五七〜六〇年のアロー戦争、一八八五には英緬戦争(イギリスビルマの戦争)があった。いずれも、イギリスやフランスがアジアを植民地化した。ビルマでは凄惨極まりないイギリスによる虐殺があったことは有名だ。福沢は、洋学者であったから、実際に世界を回り、帝国主義の脅威を肌で感じていた。

 香港でクーリー(苦力)が、イギリス人にステッキで叩かれながら働いている様子をみて、大きなショックを受けたこともある。

 だからこそ、「国体とは政権」のことであり、「国体を保つことは政権を保つこと」と述べたのである。彼にとって、国体とはあくまでも具体的な価値を持つものであり、新井白石の言ったような国家の体面としての「国体」でもなければ、「日本の民族性」といったわけのわからぬ抽象的な言葉でもなかったのである。昭和一二年に出された『国体の本義』では、「国体とは政権だ」という言い方はされていない。なぜならば、日本の独立や政権を、世界で脅かす存在はもうなくなっていたからである。明治初年に福沢が国体論を展開した時期とは、時代背景が全くといってよいほどに異なっている。時代が経てば経つほど、国体に具体性が失われ、抽象的な言い方になって、日本国民を惑わした。

 国体護持を唱えて、日本は大東亜戦争に敗北したわけだが、天皇家は残っても、福沢の言わんとする国体は失われたのである。


会場負担費:千円

連絡:西村(090−2756−8794)

主催:主権回復を目指す会 日本ナショナリズム研究所
- Count.336 (Last.2011/09/09 08:24) -


2. 辛亥革命における孫文の変節  主権回復を目指す会 - 2011/10/10(Mon) 12:55 ID:t.Qq9Spc No.474
酒井信彦の日本ナショナリズム
http://sakainobuhiko.com/2011/10/post-178.html

<辛亥革命における孫文の変節>

酒井信彦 『国民新聞』19167号 平成23年9月25日

 今年が一九一一年の辛亥革命から百周年ということで、その首謀者・孫文が話題になっている。例えば現在、東京国立博物館では、「孫文と梅屋庄吉」なる展覧会が開催されているが、梅屋庄吉とは、孫文の経済的な支援者であった日本人である。しかし孫文の実像と辛亥革命の実態に関しては、真実を隠蔽して徒に美化した情報が、無責任に垂れ流されていると言わざるを得ない。

以下、革命時おける孫文の巨大な変節について説明しよう。.

 孫文たちが革命を目指していた、一九〇六年の「中国同盟会軍政府宣言」では、革命のスローガンを「駆除韃虜、回復中華」と掲げていた。
韃慮とは韃靼人の蔑称であり、韃靼とは元来モンゴルを意味しているが、この場合は清帝国の支配者である満州人のことである。つまり「駆除韃慮、回復中華」とは、満州人を追い出してシナ人の独立を回復することであった。すなわちシナ人としての、民族独立革命である。歴史的な前例を考えれば、モンゴル人を万里長城の北に追い出して、明がシナ人の独立を回復したのと、全く同一の現象であると言える。

 さて、一九一一年の秋に辛亥革命によって清帝国が倒れ、翌年正月に中華民国が発足したのだが、臨時大総統になった孫文は、その就任宣言において、これまでと全く逆のことを言い始める。それは、「漢満蒙回」の諸地を合して一国、漢満蒙回蔵の諸族を合して一人」の如くするというもので、スローガンとしては「五族共和」と表現される。その意味するところは、中華民国はシナ人・満州人・モンゴル人・回教徒・チベット人の五つの民族が共同して運営し、その領土は清帝国の領土をそのまま引き継ぐというものである。

 清帝国の広大な領土は、満州人の軍事力によって形成されたものであり、シナ人が支配者であった明の時代の領土は、清の四分の一ほどの面積しかなかった。これは高校の世界史教科書に載っている地図を見れば、簡単に分かることである。つまり辛亥革命によって、シナ人の民族独立は実現したのであるから、中華民国の領土としては、明の領土を回復すればよかったのである。
しかし他の民族のものである広大な領土に対する欲望から、「五族共和」を打ち出したのであり、他民族へのあからさまな裏切りであった。

 現在の中華人民共和国における民族問題の淵源は、まさにこの孫文の変節にある。すなわち、チベット・東トルキスタン・南モンゴルにおける悲劇を生み出した、根本的な責任者こそ孫文に他ならない。ただし中華民国の時代には、シナ人は侵略の野望を抱きながらも、それを実現する実力を持たなかった。共産党が中華人民共和国を成立させて、巨大な軍事力を手に入れたとき、第二次大戦後の民族独立の潮流に逆行して、一挙に邪悪な野望を成し遂げてしまったのである。
- Count.68 (Last.2011/10/08 18:52) -


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